chick_d’s diary

love music

Ustream消滅によせて

昨年まで約6年弱、Ustream Asiaの中の人でした。
わかっていたことだけど、今日出ていた「Ustreamが消滅」のニュースには心を痛めました。

さらばUstream、10年で消滅。IBM Cloud Videoへ完全移行(三上洋) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

そういうタイミングなので、記録として記事を残しておきます。
以下はちょうど1年前、Ustream Asiaのクロージングの時にFacebookに書いたものに加筆したものです。
 

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本国の都合により、こういうことになりました。
現在Ustream Asiaからのサービスをご利用頂いている方々にはご不便をお掛けいたします。
申し訳ございません。※US本国のサービスとしては継続してご利用頂けます。

Ustream Asia Inc.|お知らせ

 

以下は回想と個人の見解です。

最初のサービスとの出会いは自分がMySpace勤務時代にやっていたJ-WAVEの「RADIO×SPIDER」で2009年に最初の実験放送で番組を(勝手に)配信したときでした。放送と通信の融合、なんて言われまくってはいましたが実践したSaschaさんは早かった。
毎回ラジオ放送の模様をゲスト含め動画で配信するって当時はかなり画期的だったのです。

そのあと当時勤務していたMySpace Japanがダメになって音楽の未来に一回心を折った自分としては単に動画の配信ということではなく、生中継を通した音楽ライブの配信とソーシャルメディア、という組み合わせに可能性を感じていました。
Twitterがブームだったこともあり、皆が同じ中継をツイートしながら観て楽しむ、ということに新しさがあった記憶があります。
印象的だったのはokadada氏のクリスマスDJプレイ配信だとか、沖野さんの全曲合法DJプレイ(すべて自社原盤!)とか、そのあとたくさん新しいモノ好きのアーティストが中継しはじめて、何やらUstというのは配信すると世界中から万単位で観られるプラットフォームで何やっても視聴がつくらしい、という状況でした。

当時、いきなりブームとなってからは猫も杓子もなにがなんでも生中継。ワードとして「Ustする」という言葉ができるほど。
毎日把握しきれないほどの数のライブ配信があり、なかなかの激務でしたが、タイムラインの「中継してくれてありがとう!」の言葉が励みになっていました。実際タイバニには関わらなかったけど。

2010年にUstreamが日本語化、法人化されてJASRACとも包括契約して、だいたい3か月目くらいでMySpaceから移籍入社して主に音楽担当のプロデューサーとして働いていましたが、たくさんの人の出入りがあっていつの間にか社内でも古株の側となっていました。

初期の頃、ブームを牽引したのはやはりDOMMUNEが大きかったと思います。原盤の問題がなかなか難しく、会社からしっかりとフォローできなかったのは悔やまれるところです。宇川さんのポケットマネーで運営していて経済活動が必要である以上、FREE DOMMUNEにスポンサーしたYouTubeにプラットフォームを移られたのはイチ音楽ファンとしても良かったと思います。しっかり続いているのは本当に凄いことで、今もYouTubeDOMMUNE聞きながらこれを書いています。素晴らしい。

DOMMUNEに関係した書籍はほぼ全部持っていますが、ある日スタジオに遊びに行って配信が終了したあと、なぜか宇川さんとタクシーで一緒に帰って、酔っ払っていたのもあったのですがその当時復活したele-kingについ「新しさを感じないです」ってディスってしまったのをなんか申し訳なかったな、とよく覚えています。宇川さん表紙しか担当してないのに。

初期はたしかCDNの切り替えとかが不安定で、少しでも不具合があるたびにしょっちゅう宇川さんから会社に電話がかかってきて、夜会社に残っていた人がいつもかかりっきりで対応(主に本国側に事象を確認するか、問題が配信側かPF側かどちらに起因していて、再現性があるのか確認する)していたような記憶もあります。毎晩万単位近い人が観ていたわけで「タイムラインで一部の人が騒ぐと、全員が騒いでいるように見えてしまう現象」がおそろしかったものです。

それから震災があったことで、各地上波との連携もありネット配信のインフラとしての役割が重要視されたり、かなりたくさん実験的なこともやらせてもらいました。
数々のファンクラブとの会員向けクローズド配信や、レコード会社とUstream視聴権付きのCD施策、有料配信や教授とおひねりのプロジェクトでクラウドファンディングやってみたり、フジロック会場までタワーマスクと自転車で走る模様を配信したり(地獄の三国峠、55の魔のカーブ)。。

特に仕事として関わったもので覚えてるのは宇多田ヒカルの活動休止前コンサート、有料配信して再放送時は出演者自らがタイムライン上でライブを解説するという画期的な取り組みで向谷さんとご一緒した「さよならヤマハ渋谷店コンサート」、ONE DIRECTIONの来日イベント、感動的だったFISHMANSの日比谷リユニオン、ソイルのラフォーレのライブ、ブンブンサテライツの360°配信、HIATUSのスタジオライブ、MTVのVMAJではレッドカーペットだけじゃなくてColdplayのライブが配信OKでたのもすごかったし、Sadar BaharのOrbitからのDJプレイの配信とか、Henessy Artistlyのコラボライブの配信でオーサカ=モノレールとFred Wesleyのライブを中継したり、あと、キューン20周年イベントのリキッドで電気グルーヴギターウルフの対バンライブを配信できたのも個人的にはかなり熱かったです。
1日に3現場とかの日もあって、甘噛みでは本当に恐ろしい数の番組に関わっていました。

後半はUstreamだけでなくYouTube Liveとニコ生とGyaoと。。みたいな複数配信も多くなって、競合するサービスの方たちともなんだかんだ仲良くやっていた気がします。

そしてやっぱり一番しんどかったのはももクロの24時間。合計4回もやりましたが、毎回準備と片づけで40時間寝られなかったのに加えて、ざっくりタイムテーブルはあるとはいえ1時間後に番組がどう展開していくか全くわからない状況で、赤字にしないためには川上さんに嫌われてもスポンサーのためにここはどうしても進めなきゃいけない、とか胃が痛くなるようなこともたくさんありました。実際現場はめちゃ面白かったんだけど。

クロージングも担当者として、タワレボとか定期番組をやられている方の移管先をAmeba Freshなど他の配信プラットフォームにどんどん紹介してどうにかフォローしました。福山さんのBROS.TVだけ最後まで移管先がなくてUstream本国(IBM)との直接契約に変えてもらったり。
あとはメディアかプラットフォームか、という議論はずっとあって実際プラットフォームだったのですが、メディア側面をもっと増やしたいということで「Ustreamニュース」を始めて、配信者の番組をフォローしたりもしたのですが、結局志半ばになってしまってもったいなかったです。事前の告知も事後の配信レポートもできる場を作ったつもりだったんですが、ちょっとタイミングが遅かった。

いろんなところでマネタイズな方向へサービスが改変していき、特に番組途中にCMが入りだしたのが最悪だったとよく言われましたが、中の人間としても同じく、最悪の改変だと思っていました。
Ustream側の論理としては、配信者がUstreamに費用を払って広告消し(アドフリー)してくれれば、視聴者に不便は掛けないよ、ということだったんですが、個人的にはそれはあまりにもユーザーをみてないよな、という印象でした。
ただし、日本としては本国とかなり交渉して戦いつつ、結局本国の意向に従わざるを得ない状況があったことも事実です。
あまり勝手ことを言ってはいけないと思うので、このあたりまでにしておきますが。

 

ということで

改めて感じたのは生の現場が当然一番で、ネット配信自体はあくまでも補填するものでしかない、

使いようだということです。

 

Ustreamには、サービスが流行ったことで画期的なアイデアや利用方法がたくさん集まりました。
少しでもそこに関わり、よい環境で働けたことを、いろいろな方々との出会いも含めて良かったと思っています。
ありがとうございました。


ドント・トラスト・インターネット。

 

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私とフジロック'97

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この文はFacebookに投稿したものですが、
ブログ記事にしてみたら?という進言を頂いたので一部修正してテスト投稿
 
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今年は子供がちょうど里帰りから東京に帰ってくるタイミングと重なり、フジロックへ行けないというか行かないので20年前、1997年7月26日の思い出。
 
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第一回、天神山で開催されたフジロックフェスティバル’97が日本初の本格的野外フェスだったことよりも、当時18歳の自分にとってはボアダムス電気グルーヴAPHEX TWIN、マッシヴアタック、リーペリー、スクエアプッシャーという自分的スターが一気に観られるということが高額なチケット購入の決め手だった。
シーホーセズとかレッチリとかレイジとかBECKとかはまあ好きだけどついでに、という感じなので、この時からすでにGREENとかWHITEよりもHEAVENとかORANGEでほぼ3日間過ごす派の嗜好はあったのかもしれない。
 
残念ながら会場の天神山スキー場で待ち合わせる予定だった友達とは当時持っていたPHS&ポケベル(!)の電波が入らず、全く連絡が取れずで、しばらく雨で味が薄くなるカレーを食べたり歩き回って会場の雰囲気を楽しんだりした。まあそのうち会うだろうと。(結局最後まで会えずずっと一人だった)
 
この日はちょうど関東に台風が直撃の予報。
確かサードアイブラインドまでは雨もそこまでではなかった気がする。ハイロウズの時点で既になかなかの台風っぽい豪雨に。当日の格好はTシャツに短パン、スニーカー、上着なしカッパなし、もちろんテントも宿の予約もなし。チケット代で精一杯でお金も1万円持ってなかったと思う。
 
さらに終演後のことなど全く頭になく、適当にその辺で2000円の毛布レンタルで野宿するつもりで本当に山をなめていた。どんどん流されて前の方へ。人から出る水蒸気で前へ行かないと全くステージが見えない状態だったのだ。
 
初めてのモッシュとダイブをガンガン楽しんでいるうちに体験したことのない寒さが襲ってきた。あれ?もしかして皆がモッシュしてるのって。。これ、バンドにブチ上がってるのもあるけどみんな寒さを紛らわす為に暴れてるんだ!と気づき、とにかく周りに密着して暴れることでどうにか耐え忍ぶ。
 
途中何回か日高さんが出てきて危ないから下がって!
と中断もあったが、以外と周りの皆が女の子をモッシュから助けてあげたり、温めあったりで最悪の空気ではなかったと思う。ヒロトがチンチン出して皆がテンション上がる。
 
途中でセカンドステージが開いて、フーファイターズをチラ見しながらボアダムスにダッシュで移動。
ボアダムスは確かスーパーゴー出す前あたりの時期で、1時間で1曲、ワンコードで轟音、ツインドラムという度肝を抜く演奏でこの日一番だった。ボアのライブでさらに豪雨が激しくなる、っていう地獄か天国かよく分からないトランス状態のなかで、一人狂ったお客さんがステージに無理やり上がって頭から柵へダイブしてったのを覚えている。生きててほしい。
 
で、一瞬レイジを見に戻ったんだけどやっぱりアタリ・ティーンエイジ・ライオットが気になってそこから結局電気、APHEXまでセカンドステージにいた。
フジロックで初めて、中学からずっと追いかけてきた電気グルーヴをついに観られた感想は、あれ?中途半端だなーもっと面白くてガチガチのテクノを期待してたのにもう終わり??という感じで正直消化不良だった気がする。でも場の一体感は異常なくらいでもうめちゃくちゃ楽しかった。
 
それからAPHEX TWIN。ステージほぼ最前列でかぶりついて待っていた。ステージに小さい一軒家がセッティングされて普通に曲が流れてるんだけど、本人は一向に出てこず、リチャードのお面かぶった着ぐるみが踊り狂うという、APHEXの脳内を野外で観てるような不思議なステージで最高だった。
 
最後はメインステージに戻ってレッチリを見ている途中からあまりの寒さにだんだん意識が遠のき、泥の中へ倒れる。というかおかしくなってダイブした。1日12時間も立ちっぱなしで雨に打たれていれば当然なんだけど、そのおかげで「レッチリ見ながら死にたくない」という気持ちになって、なんとか身体を奮いたたせて復活。
すでに会場も泥がすごいことになっていて、くるぶしどころかすねまで泥に浸かり、踊る以前に立っているだけで体力をどんどん奪われていく。
 
もうここに一泊するなんてとても考えられない、と命の危険を感じて2日券を捨て、とにかく帰宅しようとバス停側へ移動。むしろここからが地獄の始まりだった。
 
レッチリ終わりには俺と同じこと(一旦帰宅)を考えた3万人のゾンビと化した人たちがバス停へ押し寄せ、そこがバス停なのか何なのか分からないほど人でごった返し、会場の帰宅客の怒りがピークに。バスも道を人が塞いでいてバス停へ入れない、整理のバイトが殴られている、なんとか入ってきたバスの運転手も怒っていてドアを開けない、皆がバスを蹴る、ガラス戸にヒビが入っている、バスの排気に人が集まって暖を取っていてバスも動けない。「乗せろボケェ!」「開けろや!」の怒号が飛び交っている、というまさに地獄絵図がここから3時間。自分は怒る元気も全くなく憔悴しきった状態で目の前で起きていることが幻覚のようにも見えていた。
 
とにかく河口湖駅へ行くしかないと待ち続け、3時間後ようやく乗れたバスは残念ながら西湖行きだった。しかし、怒りが収まらない乗客数人が「みんな河口湖駅行きてえんだよ!」とバスの運転手を脅し続け、それに従う形で結局乗ったバスは河口湖駅へ行き先が変更されるというミラクル。
 
その後SMASHが鉄道と話をつけたようで、なんとか東京方面行きの臨時列車に乗れ、友達に迎えに来てもらってどうにか朝方帰って泥のように寝た。2日目が中止になったとはいえ、死人が出なかったのは奇跡だと思う。
 
という人生で一度だけ死に近かった経験をして、それから仕事で行くまで10年フジロックには行かなかったという20年前のイベントレポート。
 
その後音楽雑誌とか一通り買ったんだけど、セカンドステージのレポートがほとんど掲載されてなかったのが残念で、あんなすごいことが起きてたのに何この扱い?全員メインステージのミーハーライターばっか、しょうもな、ってSMASHよりも当時の日本の音楽雑誌に憤ったのを覚えています。
 
あのイベントのことを思い出すと、大抵の修羅場は大したことがないと思えるくらいは時間が経ち、この時に比べるとフジロックもかなり快適なフェスになったと思います。
 
ということで20周年のフジロック前夜、アヴァランチーズの出演中止であきらめがついたので行ける方、楽しんで!